2016-05-12 第190回国会 衆議院 原子力問題調査特別委員会 第4号
まず、S—1破砕帯につきましては、これは建設時のトレンチのスケッチ及び岩盤調査で確認された情報から、S—1破砕帯の北西部分については後期更新世以降に活動したと解釈するのが合理的である、それから一方、同じ破砕帯の南東部については後期更新世以降の活動はない、このような評価でございました。
まず、S—1破砕帯につきましては、これは建設時のトレンチのスケッチ及び岩盤調査で確認された情報から、S—1破砕帯の北西部分については後期更新世以降に活動したと解釈するのが合理的である、それから一方、同じ破砕帯の南東部については後期更新世以降の活動はない、このような評価でございました。
有識者が北西部分だけ動いたんだというふうに結論付けておられるその根拠は、私が見る限り、スケッチとそれから写真、これ以外に私は判断材料ないというふうに理解をするんですけれども、評価書上どのように扱われているのか。これは事務方でも結構でございます。お伺いをしたいと思います。
評価書は、S—1の北西部分だけが活動したことをどのように説明しているのか、これ非常に重要だと思いますので、そのことについて資料をまとめていただいて本委員会に提出をしていただきたいと思います。 委員長、よろしくお願いいたします。
したがって、北西部分の、地上におけるまさに人体に直接影響する部分に近いところでのモニタリングの数値をかなりたくさん集めて公表していた状況でしたので、上空からのモニタリングの数値があわせて入ったときに直接影響したかどうかということは、なかなかちょっと断言はできない。 むしろ、一義的には専門家の皆さんに、それによる影響とかいうことを判断していただいておりました。
つまり、あのときに、原発のいわゆる本拠地からまさにコンパスで同心円に描いて十キロだ、二十キロだとやっていた、ところが、この原発の放射性物質というのは風でどこに行くかわからない、結果的に北西部分に流れた。 こうした状況の中で、一つ一つ状況を踏まえて発信をした、発表をしたとおっしゃったけれども、実際このように、子供たちの千人中四五%も甲状腺被曝をしているという現実。これが十年後、二十年後どうなるか。
それで、たとえば非常にむずかしいことの一つの理由でございますけれども、昭和十五年、昭和三十七年は北東側で割れ目噴火を起こしたわけでございますけれども、そのときに地震が起こっておりましたのは北西部分でございまして、そういう意味で非常に複雑怪奇で、私ども現在の火山学の水準では、世界及び日本の火山学の技術の粋を尽くしまして、これからも監視に当たっていきたいと思っておりますけれども、現時点では大変むずかしゅうございます